手のひらの上でライブ
2005.01.02
去年はライブをよくやった1年だった。きっかけはエソロジーを出した後、いろん
な人からのオファーが多くなって、それをなるべく断りたくなかったから。だから状
況によってはバンドで出来なかったりしたし、1人バーションも多くなった。1人が
多くなると、今度はそのステージの状況に合わせていくために、ピアノ弾き語りにし
てみたりテープに合わせてみたり。
僕は例えばアコースティックピアノがなくちゃダメとか、バンドじゃなきゃ出来ま
せんとか、そういう制限が無いのでライブハウスでもカフェでも、どんな編成でもや
ろうと思えば出来る。楽器にしても以前はギターに木琴、ドラムと曲ごとに次々と持
ち替えたり。
でもここ何年かは僕が人前で演奏するのは鍵盤だけになってきた。自分をある一定
の環境に固定することで、表現が無限大になることを感じるようになったせいだと思
う。ジャンルや編成を分けることで1つ1つの曲を捉えるんじゃなくて、表現手段は
たった1つでも伝える形の数は果てがないということ。まるでこの体1つだけを与え
られて生まれて来たように。
バンドや1人というのは違えど、だんだんやりやすいライブのパターンが決まって
きた理由の1つには、去年から毎回のセット図(ステージの配置)をノートにメモし
ていたことが挙げられると思う。毎回まるっきり形態の違うステージ、それが良い反
響だったこともあったけれど、正直、僕の頭はたまにこんがらがっていて、それこそ
ステージ上の配線のようにぐちゃぐちゃになっていた。いや、きっとそれを楽しんで
いたんだなー。スリルがあるし。「人がやっていないことを常にやっていたいだろう?
」と言ってキースエマーソンも幾つものオルガンをなぎ倒したんだろうか。
エソロジーを出したときに思い画いていた「手のひらサイズのポップス(ロックで
もいい)」は、案外こんな風に自分なりの表現のしかたを一度目で確認したかったと
いうことなのかもしれない。手のひらの上で、小さくなった自分達が演奏をしている。
そうだ、一度、誰かのライブを見に行って、そのステージを自分の手のひらに乗せて
みよう。そうすれば誰にも咎められずに彼らを持って帰れるかもしれない。






