オリンピック
2004.08.20
アテネオリンピックの開会式。真夜中に眠気をこらえてTV画面を見つめた。はじ
めは欠伸をしながらボーっと見ていたのだが、意外な芸術的シーンの連続に驚かされ
た。そのときアテネは夜になったばかり。会場の中央には意表を付くように一面水が
張ってあり、その大きな楕円の湖に五輪の炎が浮かび上がる。湖のまわりを、紀元前
からのギリシャの歴史を辿る形で、それぞれの時代の格好をした人たちが静止しなが
ら移動していく。まるで回る歴史資料館。
僕のはじめのオリンピックの記憶はロサンゼルスである。1984年、夏。カール
ルイスが陸上で4冠を取り、具志堅や森末が体操で活躍した。このときもやはり開会
式をTVで見たのを覚えている。真っ昼間に太陽の方角からジェットエンジンを背中
に付けて舞い降りてくる宇宙飛行士。どちらかというと「静」を感じるアテネとは対
照的だ。あの頃は何もかもが派手だった気がする。景気もファッションも音楽も。今
はその派手さに懐かしさを覚える。それは僕だけではないだろう。
小学生の終わり頃、走り幅跳びに夢中になった。授業で一度なかなかの距離を飛ん
で、いい気になって「自分の道はこれだ」と思い込んでみたのである。でもそれはマ
グレだったようで、その後の訓練でも記録は伸びず、寸でのところで代表にこぼれ、
ちょっとした大会にも出れなかった。
乾いた砂地に下半身をすべらせるまで、飛び上がって空中を漂っているあいだ、僕
は何を考えていたのだろう。カールルイスになれると思っていたのかもしれない。雲
まで飛んでいけそうな気分だったのは確かだ。だからのめり込んだ。そのときだけ、
僕は鳥になっていたのだ。
人は夢中になっているとき、自分じゃない何かに成り変わっている。プールを泳ぐ
魚は体をくねらせて、ハードルを跨ぐカンガルーはサバンナを軽快に踏み鳴らす。た
だ本人がそのことに気付くのは一瞬だけで、あとは観客が目撃者になっているのであ
る。さながらオリンピックとは動物たちの祭典だ。僕らは人間の姿のまま、いち早く
野生に帰った彼らを羨みながら感動しているのである。あ、また涙腺が。






