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2006

救命ソング

2006.05.03

僕が今回のアルバム「Portable Tunes -HARCO CM WORKS-」で手に持っている、チャンネルをガチャガチャと手でひねって切り替えるテレビ。あんなに可愛いオレンジ色ではなかったけれど、幼い頃僕の家にもあのタイプのテレビはあった。木目の枠のなかに、銀色のさびついた「ガチャガチャ」が当然のようにくっ付いていた。
 幼い頃は、番組の面白いところに限っていつも邪魔してくるコマーシャルが、なぜあるのだろうと思っていた。スポンサーのことや「提供」という言葉もまだよく分かっていなかった。あれが無ければ、隙間なくずっと笑っていられるのに。だから番組がコマーシャルに差しかかるたび、容赦なくガチャガチャとそのつまみをひねっていたものだ。
 その頃は体が弱く、小児喘息を患っていたのだが、ドリフの「8時だよ全員集合!」を見るといつもしまいには笑いすぎて、ゼーゼーと軽い発作を起こしていた。そのたびに両親は心配そうな顔をしたが、ちょうどよくコマーシャルが流れ、肩で息をしながらしばし休憩となる。どうやらコマーシャルは僕に、なんでもない週末にあっけなく笑い死にしてしまうのを防ぐ役割を果たしてくれていたらしい。
 俯いている僕の頭の向こう側で、誰かのふいに浮かんだ鼻歌のようなCMソングが鳴り響く。普段は邪魔に思えていても、そんなときは立ち直るための呪文のように響き、両耳から体内へと滑り込んで、やわな気管支を少しだけ撫でてくれるのだった。
 翌日、母の退屈な買い物に付き合うためにスーパーマーケットへ向う。カートを押しながらそこらじゅうの商品にCMソングを付ける。いや、今さらそんな必要は無いのだ。お菓子だろうと洗剤だろうと、すでに1つ残らず気の利いたメロディが付けられている。棚1列ぶんだけで、いったい何十曲僕は歌えただろう。
 そんなCMソングを今こうして作れているのが幸せだ。ちなみにドリフで笑い死にそうになったとき、肩で息をしながらも呼吸を整えるために落ち着いて腹式呼吸、この繰り返しが僕の今の歌に役立っているとかいないとか。その真相は分からないが、分かっていることを書けば、近年の僕のCM WORKSとは命を救ってくれたそんなテレビコマーシャルへの恩返しなのかもしれない、ということだ。


2006

ウィッシュリスト

2006.03.27

 大型のネットショッピングサイトにいくと、今ではどこにでもウィッシュリストというコーナーがある。買いたくてカートに入れてしまいたいけれど、まだ お気に入りの段階にとどめておこう、とか、いつか誰かにプレゼントしてもらうのを待とう、そんな状態で置かれている「モノ」たち。彼らは市場に放置され たわけではなく、誰かの家に招かれたわけでもなく、「ウィッシュリスト」というガラス張りの小さな部屋に通されたまま、本当の出番をただひたすら待っているのである。
 僕のこの言葉に対する愛着は、とあるサイトの「欲しいもの一時取り置きコーナー」に付いた愛くるしいネーミングから余所見が出来なかった結果なのだ。それにしても、 その後こんなに普及していたとは知らなかった。
 もともとは欧米の風習で、欲しいものをそのリストに書いておけば、それを見た友人がお祝い事のときなどにそこからチョイスしてプレゼントしてくれる、 というもの。日本でもなんとなくその風習は根付いていて、例えば誕生日などはたいていプレゼントをあげる側が選んだりするものだけど、いざ結婚するとな ると急に「何が欲しいか言って!」と突撃インタビューされたりする。そこですかさず「ルクルーゼの鍋」とか「ティファールの勝手に沸騰してくれるやつ」 とか「アラジンのえ〜と、あれ、なんだっけ」とか素直に言えればいいのだがついつい照れてしまう。
 もしかしたら、これはそんな恥ずかしがり屋さんのためのリストなのかもしれないが、子供からしたらサンタさんに毎日手紙が書けるようなもの。たとえ子供でも大人でも、欲し いものはオンデマンド方式でいつでも自発的に手に入れる、そんな現代の価値観の象徴でもあるのだろう。(それが人のお金でもかい!?)
 でも願い事ってやはり「モノ」だけじゃないわけでしょう。言ってほしい言葉だったり、もうちょっと上乗せして欲しいサラリーだったり、旅立ったままの 帰ってきてほしい猫だったりするわけで。
 実はウィッシュリストの語源のひとつに「(紙に書かない)願い事のリスト」というのがあって。メモ魔の僕からしたら本末転倒。しまった!欲しいものを しょっちゅう色んな紙に書いてしまっている。例えば神社でお参りをして「なんておまじないした?」って聞かれて「え〜、でも人に言ったら叶わなくなるん でしょ」というくだりがよくあったりするけど、あれと一緒で、人に迂闊に公言してしまうと願いは叶わなくなるんじゃないかっていう恐れは、きっと東洋にも 西洋にも等しく存在しているのだろう。
 じゃぁ僕らは金輪際、願い事を胸にしまっておくべきなのか、それとも主張を繰り返して運を呼び寄せるべきなののか。つまりウィッシュリストには2つの書き方が あるんだなぁ。こうなるともう、人によりけりでしょう。不言実行も日本男児な感じで渋いけど、僕はなんでも口に出してしまうタイプ。願いが叶っていく過程を初めから見届けてほしいし、叶わなかった夢も誰かに両手ですくい取って少しだけ見つめてもらいたいのだ。