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2004

スタジオ通い

2004.09.10

 スタジオという空間が好きだ。バンドでリハーサルに入ってあらかた機材をセッティ
ングし終わって、張り巡らされたケーブル類や即席のインテリアのように並べた機材
とアンプたちを眺めると、「あーここにずっと住んでいられたらいいのに」と思う。
自分の部屋だってドラムを除けばあまり変わりは無いのかも知れないが、家では無い
外のスタジオの方が、時間的制約もあるぶん集中できるし居心地がいい。
 昔から僕は、バンドの練習とは別に「個人練習」というものが好きである。練習と
言いながら、疲れていた日に30分くらい椅子に座ったまま寝ていたことがあるが、、
、、。勿論たいがいは音楽的な何かをやっている。高校生の頃はドラムをやっていた
ので、バンドのリハーサルの無い日は個人練習を入れたりして、毎日毎日同じスタジ
オに通っていたという時期があった。クリック、スティック、スネア、ペダルはスタ
ジオに置いてあるので、手ぶらで学生服なんかで行けばいいだけ。しかし個人練習は
当日予約のみなので、決まった時間に入れるか分からない。最近は事前に空き状況が
ネットで分かるスタジオもあって、これはかなり便利。
 で、今はドラムというよりは歌やピアノの練習に行くわけだ。なぜかピアニカ片手
に。あとノートとかMDとか。毎日行けばそのぶんお金はかかるのだが、でもそれだけ
は、節約したからと言って何にも変えられないものような気がする。理由は無くても
夜な夜なクラブに通っちゃうような、そんな時期あったでしょ。あれ、あったかな?
例えば「見返りを気にしない」、なんてことは絶対無い。酒場に行ってもクラブに行っ
てもスタジオに行っても、手に入れたいものはきっと誰でも企みのポケットに隠して
いる。
 携帯電話のなかには何ケ所かのスタジオの電話番号が入っていて、仕事の用事で行っ
た先の近くに電話してそこに寄ってから帰ったり、何も無い日は近所のスタジオに行っ
たり。もちろんサボる時もあるが、たまにカラオケに行ってスタジオに行ったことに
したり。日記や歯磨きや庭の水撒きみたいなもんで、やらないとなんだか、気持ち悪
いというか、罪悪感が残るのである。
 罪悪?僕は「ことを済ます」ためにスタジオで日頃の行いを浄化するのだろうか。
そうではなくて、食事が終わって、皿を洗って、テーブルもシンクも一通り拭いたら
なんだかスカーッとするでしょ。まぁ、それがやりたいだけなのです。1時間だけで
も全身で歌えば、湿っていた心のシーツもすっかり乾いてしまう。まるで言いたいこ
とを全部言い切ったとき、みたいに。


2004

オリンピック

2004.08.20

 アテネオリンピックの開会式。真夜中に眠気をこらえてTV画面を見つめた。はじ
めは欠伸をしながらボーっと見ていたのだが、意外な芸術的シーンの連続に驚かされ
た。そのときアテネは夜になったばかり。会場の中央には意表を付くように一面水が
張ってあり、その大きな楕円の湖に五輪の炎が浮かび上がる。湖のまわりを、紀元前
からのギリシャの歴史を辿る形で、それぞれの時代の格好をした人たちが静止しなが
ら移動していく。まるで回る歴史資料館。
 僕のはじめのオリンピックの記憶はロサンゼルスである。1984年、夏。カール
ルイスが陸上で4冠を取り、具志堅や森末が体操で活躍した。このときもやはり開会
式をTVで見たのを覚えている。真っ昼間に太陽の方角からジェットエンジンを背中
に付けて舞い降りてくる宇宙飛行士。どちらかというと「静」を感じるアテネとは対
照的だ。あの頃は何もかもが派手だった気がする。景気もファッションも音楽も。今
はその派手さに懐かしさを覚える。それは僕だけではないだろう。
 小学生の終わり頃、走り幅跳びに夢中になった。授業で一度なかなかの距離を飛ん
で、いい気になって「自分の道はこれだ」と思い込んでみたのである。でもそれはマ
グレだったようで、その後の訓練でも記録は伸びず、寸でのところで代表にこぼれ、
ちょっとした大会にも出れなかった。
 乾いた砂地に下半身をすべらせるまで、飛び上がって空中を漂っているあいだ、僕
は何を考えていたのだろう。カールルイスになれると思っていたのかもしれない。雲
まで飛んでいけそうな気分だったのは確かだ。だからのめり込んだ。そのときだけ、
僕は鳥になっていたのだ。
 人は夢中になっているとき、自分じゃない何かに成り変わっている。プールを泳ぐ
魚は体をくねらせて、ハードルを跨ぐカンガルーはサバンナを軽快に踏み鳴らす。た
だ本人がそのことに気付くのは一瞬だけで、あとは観客が目撃者になっているのであ
る。さながらオリンピックとは動物たちの祭典だ。僕らは人間の姿のまま、いち早く
野生に帰った彼らを羨みながら感動しているのである。あ、また涙腺が。


2004

涙腺

2004.07.30

 その話がエンディングに差し迫ってくると、女はハンカチを取り出し、男は親指と
人さし指を目蓋に当て、流れ出る涙を受け止めようとする。どうして涙はこらえよう
とするほど溢れ出てくるのだろう。どうして涙の後には幾らか気持ちがスカッとして
いるのだろう。涙には人を再生させる力がある。偽りの涙なら用はないが、本物の思
い掛けない涙には純粋な言葉が宿っている。滝と同じくマイナスイオンでも含まれて
いるのだろうか。  
 そういえばなんだか最近、涙もろいのだ。もはやオヤジの域なのか。断っておくが
「酒を飲むたびに」ではない。それは立派な泣き上戸。そうではなくて、普段のちょっ
としたことで、ほろりと。TVを見ててふいに「あ、しまった」というときもあるし、
風景を見てて、「あっ」というときも。これじゃまるで尿漏れだな。違いますよ。涙、
上の方です。
 ほろりではなくて号泣ってのを最近2回もしてしまった。どちらも感動して、の涙。
 ひとつはつい先月の自分の結婚式でのこと。花嫁から両親への手紙、というシーン
があって(定番ですな)、マイク持ったまま思わず涙を流した嫁をなぐさめるつもり
が、自分も一緒になって泣いてしまった。自分が手紙を書いたわけじゃないので、人
の感動に感動したという、つまりもらい泣きですな。ついついもらえるものはもらっ
ちゃう、自分の悪い癖。
 もうひとつは、ティムバートンの映画「ビックフィッシュ」 を見て。これはやばかっ
た。父子愛ということもあり、特に男には効くストーリーだったのでは。ラスト10
分はずっとアゴまで涙だらだら。終わってすぐ映画館を出て、駅までの道でまた思い
出して泣いてしまった。路地裏でいい大人がメソメソしているんだから、けっこう通
行人に不思議がられたが、それどころではなかった。
 できれば次は音楽で泣きたいところだが(できれば人前じゃなく)、たまに聴いた
ことのない素晴らしい曲を聴くと、あーっ!って気持ちが高ぶるけど、すぐ分析しちゃ
うのでなかなか難しい。つい冷静になる。昔はよく人のライブに感情移入して泣いちゃ
ったりしたもんだが、あれはなんだったのか。音圧とともに何か体から奪われていっ
てしまう気がしたのかも。
 近ごろは泣ける本や映画が多いらしいが、泣きやすくなってしまうのも要注意。あ
りふれた展開に抗うような、それなりの独自のセンスが必要だ。慎重に自分の心と向
き合って、相性ぴったりの作品に出会ったらここぞという時に泣くのがいい。涙が乾
いたら、すっかり違う自分になっているのでは。だったら急いで支度して、誰かに会
いにいくべきだ。


2004

丹沢

2004.04.30

 このまえキマタ君と丹沢(神奈川県)の山に登った。2年前くらいにも一度二人で行ったのだが、その後すぐに「また行こう」「来月にしよう」なんていいながら、いつのまにかこの日までズルズルと時が経ってしまった。
 僕は徐々に山登りというものに快感を覚え始めているのだが、気軽に誘っても若い人ならたいてい「え?山?」となってしまう。「飲みにいこう」と言えば「じゃぁこの仕事5分で終わらすから!」なんて言う人に限って、「山に行こう」と言えば、どうやら5分どころか5年はかかってしまいそうな顔色を見せる。
 かといってワンゲル部だったわけでもないので、山に詳しい友人にも乏しい。なので、いかにもアウトドアと縁が遠いような輩に声を掛け、登山道の世界へと引き込もうと常日頃努力を続けているわけである。そんな悪意の餌食となってしまったのがキマタ君。  彼は高尾山(標高約600メートル)より高い山は限界だとよく言っていた。今回目指したのは丹沢の三の塔という片道2時間くらいのポイントで、標高1205メートル。小田急線ですでにギブアップしかけていたのも無理はない。(でも実は幼い頃、富士山に登ったことがあるらしい)
 家の下駄箱に古着屋で買ったまま1回も履いていなかったティンバーランドの登山靴があった。この日はそれを履いて行ったのだが大いに役にたった。やはり登山靴だけあって、登れば登るほどフィットして、次々と足を振り上げるためのアクションを与えてくれる。それでもやはり道はどんどん険しくなり、何度も座り込んで休憩した。そのたびに眼下の街は小さくなっていく。
 頂上には雪が少しあった。寒い。けれども南東に江ノ島、西に富士山が見える絶景の場所。近くでハンググライダーも舞っている。疲れなど忘れた。この瞬間がやはりいいのだ。この瞬間に少しでも長くいられるように、登山客達は飯を頬張り、笑いながら喋り合っている。頂上で人生に悩んでいる人はまずいない。みんな何かを乗り越えた顔をして後光を浴びながら輝いている。登山靴を履いた観音さまがたくさんいる。
 ちなみにここから尾根づたいに頂上から頂上へとハシゴする道が、登山家のもうひとつの至福であるらしい(なかなか下りないよみんな、じらしてるよー)。上級者は下りるのがまた早いんだ。僕らはすでに膝がガクガクである。登ってる時は気持ち良くて「またすぐ来よう」「はやく道具揃えよう」なんて言い合ったわりには、下ってく登山道を途中でダウンして、ゆるやかな車道のコンクリートの道で帰った。
 このぶんだと次は2年後になってしまうのだろうか。もしくはその頃には命綱をつけて滝を登っているかもしれません。それはともかく、丹沢って、初心者には面白いし、意外と奥が深い。来週またキマタ君に電話しようかな。


2004

住宅街のマリンバ(練習曲)

2004.04.20

 近所から騒音のことで苦情があった。夜遅くにウーリッツァを弾いてしまったのがいけなかった。これまでの人生でこれが何回目だろう。たいてい引越してすぐの時期に、何らかの形で叱られてしまう。今回は管理会社を通じて連絡があった。昔は玄関に紙を貼られたこともあった。そのたびに体中を紐で縛られたような気持ちになる。2、3日恐くて何も音が出せない。
 ここは少し郊外なので、まわりは子供がいる家庭も多い。もちろん寝るのも皆早い。 引越して早々ここを追い出されるのは勘弁だ。ああ、もう本当に夜は何もせずひっそりとしていよう!おかげでここんとこ毎日、夜は抜き足差し足。
 とにかく先方には急いでお侘びの手紙などを渡した。近所付き合いは大切だ。過剰でもいいから気をつけておこう。
 友達にも騒音問題で悩んでいる人は多い。でもほとんどが被害を被っている方だが。 その様子を聞くと、自分とは関係なくてもなんだかすまなく思う。一度誰かの家へ遊びに行ったとき、たまたま日曜の昼間だったのだが、両側と上の階から洗濯機や掃除機の音がグワングワン鳴り響いており、こっちまで悲しくなってしまった。それだけ人の心が聴覚から入る情報に影響を受けやすいということだろう
。  音楽をやる人で、防音対策まで手が届かないという場合、わざと大通り沿いに住むことが多い(今までの僕もそうだった)。国道と首都高と私鉄がいくら交差していようが、空気が悪かろうが、米軍基地が近くにあろうが、そこが音を出しやすい環境なのであればある意味天国なのである。だから、ひっそりとした住まいに行き着いた今の僕は、環境の代償として見えないリスクがかなり大きい。
 でも一応「ピアノ可」物件であって、昼は思う存分、生のピアノ(実は最近導入) などが弾ける。向かいのマンションではマリンバ(木琴)を叩いている人もいたりし て、けっこう心強い。音楽を愛する見知らぬ同志の、マレットを降り下ろす音が夕暮れ時に鳴り響くと、窓を開けてしばしゆったりと聞き入ってみたりするのである。


2004

お引越し

2004.03.30

 郊外に引っ越しをした。18歳のときからちょうど10年間、都心の辺りで暮らしていたので、なんだか外国にでも引越したような気分だ。ベランダから校舎や住宅が立ち並ぶ大きな丘が見える。あの向こうのもっとずっと先に東京の雑踏はあるんだなぁと思うと、寂しいような気もするし、騒ぎから抜け出した後の安堵に似たようなものも感じている。
 長く暮らしていた東京を離れてみると、まるで自分という模型から、意識の部分だけ飛び出してしまったような気になってくる。内側から見つめていた自分を、今は外側から手で触って動かしたりできそう。やはり少しでも落ち着いた場所に住むと、時間もゆっくりだし、自分のこともゆっくりと見つめられるからだろうか。
 今まではちょっと歩けば着いたような場所に、欲しいものが売っていたり仕事場があったりしたのだが、最早そうではない。切符を買って電車に乗るように、何かと理 由をつけて出掛けていかなければならない。何も考えずに出歩いても、ただ空を旋回して帰ってきた、獲物を得られなかった野鳥のような気持ちになってしまうからだ。
 だから、日頃の「お出かけ」にはそれなりの気合いを入れるのである。「さぁ今日は都内に出るぞ」なんて思い込むと、1日に何件ものスケジュールを入れ、何か一つ は必ず買って帰ってくる。なんだかそうしなければ気が済まないのだ。きっと無駄な買い物が多くなった。
 ところで、最近よくライブでやっていて、今度のアルバムにも入る「お引越し」という曲は、今回の実生活の引っ越しとはまったく関係ない時期に作ったものだ。しかし僕にとって引越しとは、小さい頃から何度か訪れてきた印象的な場面であり、そのたびに転機のようなものも訪れて僕を変えてきたので、敢えてそのテーマで曲を作れて(あんまりそういう曲ないよね)良かったと思っている。
 まだ引越して1ヶ月ちょっとしか経っていないので、前の町に未練もたっぷりあるが、都心から離れた場所で音楽をやることをずっと考えていてやっと叶ったというところもあるので、これを機にそろそろ「いい流れ」が自分に来ないかなぁと思っているのだが。もちろん待っているのは駄目である。日頃の「お出かけ」がなによりも大切なのである。


2004

熱演するエピクロス

2004.01.20

 ライブでウーリッツァを蹴り倒してしまった。それを見ていた人のなかのとくに男性陣なんかはパフォーマンスとして喜んでくれたけど、ほかの皆や例えば初めて見た人なんかはどうだったかと思うと少々心苦しい。自分としては正月からデジカメが当 たったりとかおみくじが中吉だったとかいう感じでなかなか縁起がいいなぁと思っていたところを、自らぶち壊してしまった気がしてしばらく落ち込んでいた。それにウーリッツァ、電源入らないんだもの。今だ修理中である。
 ミュージシャンにもストア派とかエピクロス派とかいう流れが存在する気がする。これは古代ギリシア哲学の考え方だが、前者が理性に従う生活を重んじ平静な心境のみが幸福であると説くタイプ、後者が人間の認識の根拠を感覚とし、快楽主義なタイプ。例えが極端かもしれないが、自分に置き換えても、もうちょっと理性でコントロールできないかなぁと思う部分が多々ある。いや、多々多々ある。でもそうやって制御しようとすればするほど、反動が大きくなっていざ酒池肉林の世界へ、じゃなかった、 自己表現の爆発みたいな現象が起こってしまうのである。しまう?いいことじゃない か。創造の悲喜劇が嵐となって巻き起こる。でもそのたびに楽器を壊すのはどうかと。
 しかし、自分がひとたび見る側に回ってみれば、ギターの弦を全部引きちぎってしまうくらいの熱演を毎回披露するエンケンさんのライブは大好きだし、目を見開いてコブシを握って足をバタバタさせたりターンしたりして歌うあがたさんなんかも素敵 だと思う。それにあの時代で音楽を生きた世代ならではの貫禄もある。じゃぁストア派は誰かというと、やはりスティーリーダンとか?彼らの音はロックを理性で制御した姿の縮図であるとも言える。でもあの二人がまた両者に別れる気もするけど、、、。
 スポーツにしても毎回安定した安打をたたき出すイチローや、端正なアシストを出 す中田英寿など、近ごろは冷静な人のプレイが目立つ。そこで我々熱き(熱すぎた) 男たちはどう戦うべきかと!あ、これじゃ完璧にエピクロス派になっちゃってるな、 そうではなくてつまり、もう少し冷静に音楽を語る術も見につけないとな、ということである。というか、極端に冷静になろうとするからいけないのであって。僕の場合、 ちゃんとしようとしない方がむしろちゃんとできるのかもしれない。
 いわゆる太陽の季節とか、団塊の世代を通り抜けなかった僕は、いつでも熱くなることに戸惑っていて、不器用である。そこでエピクロスは言うのである。「静かな快楽を求めよ」と。


2004

ライン上の男 

2004.01.10

 自分の体のなかに眠っていた悪魔が、遂に目を覚ましつつある。その悪魔とはずばり「メモ魔」である。片時も鉛筆と小さなノートを手放せなくなってきた。少しでも知らなかったことを目にしたり耳にしたりすると、即座にその「メモ」という名の心の巾着袋に封じ込めたくなる。その袋を開くのに呪文はいらない。何かを記した瞬間から未来であれば、何の手続きも無しに開くことができる。24時間対応、言葉のキャッシュディスペンサー。
 どんな本を読んでもすぐにアンダーライン引いちゃう人。それも自分かもしれない。 鉛筆もしくはSTAEDTLERの蛍光ペンでおもむろに線を引く(古本の価値はなくなっていく)。ひとたび表舞台に立たされた文字は、僕にとってすでに見知った人と同じである。でもたいてい、何処で会ったか忘れてしまう。
 例えば、野球のグラウンドに赤い容器を転がして描いていく石灰石のライン、その上を飛び交うボールの行方を僕は夜な夜な手元のスコアボードに記録する。毎日食べる御飯のように、言葉を毎日記録する。なんだか自分という学校の宿直当番になったような気分だ。そういえば眠る前の微かな灯りの空間は、どこかの小さな宿直室を思 い起こさせる。
 ところで、このたび目を覚ました悪意なき「メモ魔」はどうやらのんびり屋さんな様子。それは僕が本を読むのが遅いことと大いに関係がありそうだ。まぁそれでいいんだ。日々受け取る情報だって最小限にとどめてこそ、その人のその日の言葉に成り変わる。誰もが知っていることでも念のため。明日何があるか分からないし!もはや無意識で握った消しゴム付きHBが勝手にこう記していた。「火星の探査機の名前はスピリット」。