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2005

私的2005年を振り返る

2005.12.30

 僕にとってはあっという間に過ぎてしまった2005年。その前の年はライブをたくさんやったので、今年はそんなにやらないでおこうと思いつつ、気がついたらたくさんの予定が入っていた。それに加えてレコーディングもたくさん。HARCO名義で合わせて3枚ぶん作っていた。でも、音楽尽くめで良かったなぁと思う。これからもそんな年が続きますように。
 ふと2005年のHARCOを振り返ってみようと思い立ち、今年のスケジュール帳を開いてみる。毎日の予定が、色鉛筆でカラフルに色分けされて丸く囲ってある。だんだんと仕事のレパートリーが増えてきたので、自分の頭のなかの整理も付ける意味で、分かりやすく振り分けていたのである。しかし少々面倒くさかったので、最後の方はしていない。それでも振り返る今となっては、その月によって色のバランスが全く違うので、1年の仕事の流れがよく分かって面白いのだ。
 さて、それらの色に従ってさっそく書いてみよう。

1月
ひと月まるまる、ミニアルバム「Night Hike」のレコーディング。どうやらレコーディングは赤だったようで、この月は真っ赤に染まっている。家でずっとひとり作業。黙々とやっているので、 次第になんだか引きこもりの人の気分に。途中からゲストミュージシャンの人に手伝ってもらったりして、だんだんと良い形に。
2月
ミニアルバム完成。ジャケット撮影など。空気公団にマリンバで参加。YUKIのリミックス音源制作。SUIKAイベントにお呼ばれ。暇な日はピアノを弾いたり、ジョギングしたり。その日その日でいろんなことやってる。
3月
この月は大部分が緑色に染まっている。CMの仕事がいくつも重なったらしい。後半はライブのリハも重なってかなりテンパっている様子が、ページ全体の荒々しい書き方からも見て取れる。Night HikeのPV撮影。新しいMACとiPOD、その他いろいろな楽器も購入。着実に設備投資をしている模様。
4月
引き続きCMの仕事多数。合間に映画を見に行ったりしている。余裕があるなコイツ。ミニアルバム「Night Hike」発売。レコ発オールナイトイベント。あがた森魚さんのライブに参加。あふりらんぽとの対バン。あれは盛り上がったなぁ。この月は九州のおばあちゃんが亡くなったんだ。大往生だった。急いで向かったので、飛行機のフライトナンバーが書いてある。同じ週に高田渡さんも逝去。
5月
友達の結婚式で僭越ながら司会を担当。挨拶してくれたミュージシャンのバンド名を間違えて赤っ恥。Night Hikeワンマンライブツアー。東京はソールドアウト。各会場に来てくれた皆さんありがとう!!見る側ではカエターノヴェローゾのライブに。拍手しすぎて手が痛くなるほど良かった。ディズニーシーにも行った。この月、すでにSUZUKIアルトの歌を歌っている。
6月
次作に向けて本格的に曲作り。料理創作ユニットGOMAの3人のために協力したアルバムが発売されたので、そのイベントに参加。チョコラのCM音楽制作。ほか、ライブも何本か。
7月
引き続きHARCOの曲作り。ゲントウキのイベントに参加。歯医者に何度か通う。キマタくんと陣馬山までハイキング。POsCAMのCM音楽制作。高速道路上で車のエンジンが壊れて、レッカー車で泣く泣く帰宅。
8月
キセルを招いて下北沢440にて自主イベント「KI・CO・E・RU?」を開催。急遽CM3本の曲を入れたシングルを作ることに決定。打ち合わせを重ね、それぞれサイズを長くする。東京、大阪で何本かライブ。その他いろんな仕事。スケジュール帳の色も文字もぐちゃぐちゃ。
9月
そのシングル「世界でいちばん頑張ってる君に」レコーディング。自宅やスタジオで録音を繰り返す。PVも撮影。クリンゴン、SUIKAを招いて下北沢QUEにてFastSynQue VOL.7を開催。nittのライブに参加。まだ歯医者に通っている。
10月
妹が結婚。母、妻のミッコと共に歌を歌う。ワッフルズのイベントに参加。お互いの曲をカバーし合う。HARCOミニアルバム3部作完結編「Wish List」のレコーディング開始。あまりの忙しさ続きで背中が痛いので、全身マッサージを受ける。恍惚のひととき。
11月
引き続きミニアルバムのレコーディング。シングル「世界でいちばん頑張ってる君に」発売!各地でキャンペーン。Ettを招いて名古屋で「KI・CO・ E・RU?」を開催(初の自主イベント地方進出)。Coaレーベルのイベント参加。原稿執筆の仕事も増える。マイカー歴2年目にして2代目の車の納車。 以前のは赤いワゴン、通称「雨に濡れると洗い立てのトマト」、今度のは紺色で、通称「雨に濡れると水に浸けた茄子」。
12月
スタッフに無理行って期限を延ばしてもらって、なんとかミニアルバム「Wish List」完成!夏頃から止まらなかった忙しさにもどうにかひと段落。一足早くそのアルバムのジャケット撮影も敢行。下北沢mona recordsでの東川亜紀子さんとのイベント「Christmas Flight」を終えて今年のライブはすべて終了。あとは余熱でのろのろと動きながら、いろんな街で会えなかった友人たちと飲み続ける。
 そんななか、シングル「世界でいちばん頑張ってる君に」が年内で1万枚を突破したとの嬉しいニュース!オレも頑張ったよ、、、と思いつつ、協力してくれたスタッフ、周りのミュージシャンたちにも心から感謝したいと思う。ジンクスである「年末に風邪を引く」というのをまた実行してしまったので、今夜は薬を飲んでいつもよりたっぷり眠りたい。


2005

ふぁすとしんく

2005.09.29

 ファストシンクという不思議な名前の自主企画イベントも、途中でスペルを変
えたりして、9月28日のQUEで通算10回目。それ以前から何度か企画してい
たり、KICOERU?というイベントも今年になって始めたりしたので、数えてみると
結構な数の夜をオーガナイズさせてもらっている。
 自分で出演してはいるけど、きっと下北沢などで好きなバンドを集めてイベン
トを企画している女の子たちと僕も同じ気持ちなのだ。「こんな並びでいっぺ
んにライブを見てみたいなぁ」ということ、そしてその場にお客さんがたくさん
来てくれて、みんな満足してくれたらいい。じゃぁオシャレなフライヤー作ろ
う、Tシャツも作ろう、ミニコミも、なんて夢が広がると同時に、イベント運営
費という現実も抱えながら、1から作り上げていくわけだ。
 思えば僕が初めて音楽のイベント企画に携わったのは、高校2年の文化祭の時
だ。軽音学部だった僕はその年のバンド演奏会場の仕切りを任されることに
なった。剣道や柔道の授業で使われる武道館で行われるので、まさにLIVE IN 武
道館。といっても200人も入ればぎゅうぎゅうの狭さ。
 そのときはイカ天を始めとするバンドブームの火が続いていて、参加希望バン
ドも1年から3年までたくさんいたので、事前にオーディションをして20バ
ンドに絞った。もちろんほとんどがコピーバンド。僕も4つくらいドラムで掛け
持ちしていた。ジャンルはジャーマンメタルからポップスまで様々。
 文化祭のたびにお世話になっているPAや舞台、照明設備の会社を先輩に教えて
もらい、通いながら打ち合わせを重ね、武道館のなかにステージを作り上げ
る。当日は、進行はおろか照明までも自分たちでやらなくちゃいけなくて、友達
のバンドのステージを色んな色に変わる照明をくるくるまわして照らしてたよ
うな気がする。徹夜続きでぼーっとしながら、出番を忘れたり。
 今ではライブハウスのスタッフの方たちやうちのスタッフに本当に多大な協力
してもらって、気がつけばこんなにたくさんのバンドたちに出てもらったんだ
なぁと振り返ることができる。いや、それはまだ早いか。このペースであと30
年くらい続けてまたそこで振り返りたいところである。

 追記ー15年前に僕が呼んでいた雑誌の切り抜きがこのまえ棚奥から現れた。
それは「ライブハウスには出るためには!」みたいなコーナーで、Club QUE店長
の二位さんがバンドを指南する役で出ていて、そのことでFastSynQue vol.7の打
ち上げでは盛り上がった。いやー、関わってる数は半端じゃない、恐れ入ります。


2005

CM

2005.07.26

 ここ何年か、いろんなCMソングを歌わせてもらっている。きっかけは何だったろう。あれは歌ではなくナレーションだった。4年ほど前におむつのCMで 「新しいパンツ、できました」と喋ったのが最初だったかな。MAスタジオで監督に「もっと明るく」とか「もっと優しく」とか「もっと歯切れ良く優しく」 なんて言われながら、最後の方はもうわけがわからないまま、それでも口が勝手に喋ってくれて、気がついたらOKをもらっていた。
 それから間もなく、CMの歌を歌い始めて、次第に曲も作るようになった。そうなると必然的に演奏もその場でやってしまう。自分一人でドラム、ベース、ギター、ピアノなどを重ねていって、最後に歌を歌って1つのCMが完成ということもある。このスタイルはHARCOのレコーディングでさんざんやってきていたので、それが15秒サイズになっただけと考えれば、これも1つのHARCOなんである。そう思い始めた頃からこの仕事が一気に楽しくなった。
 昔から、友達のラジオ番組のジングル(3秒くらいのものとか)を作るのが好きだった。頼まれてもいないのに自ら率先して作って渡していたものだ。あまり機材を持っていなかった頃は、効果音を拾ってきてサンプラーで加工したりした。いろんな大きさのコップを叩いて微妙にチューニングを調整すれば、どこ にもないコップの鉄琴が出来上がる。そんな具合に。
 ところで、インダストリアルデザインという言葉があって、それは家具や食器や車をといった生活を取り巻くものをデザインすることを言うらしい。僕の勝 手な意見だが、CM音楽も言い換えればインダストリアルミュージック(産業音楽?)なんじゃないだろうか。
 スプーンとか椅子とか、あたりまえに存在しているものに、自分なりのデザインを施すことによって付加価値を付けること。ときに先進的に、ときに伝統に 立ち返って。一方、右から左にどんどん溢れてくる企業のCM。そこに音楽をつけること。人を引きつけることに妥協しないこと。
 でもその時点で、それらはもはやデザインでも音楽でもなく、ひとつの「環境」になる。その環境はやがてすべての人に帰ってくる。日頃の生活そのもの。 環境と共鳴しながら作るってなんて素晴らしい!でもなんて難しい。
 50年前、レイモンドスコットが作ったいくつもの電子音楽も、当時たくさんのアメリカのCMに使われた。その風変わりで陽気な曲たちは、誰よりもいちばん子供たちに愛された。子供たちはそんな環境に育てられて、新たな環境を作っていく。
 あの「おむつ」をはいていた子供が、いつか僕に仕事をくれる日も来るだろう。


2005

スポーツ観戦

2005.07.03

 スポーツはもっぱら観戦派だ。それもだいたいテレビで。
 音楽業界ではサッカーや野球チームに入っている人が大勢いる。見に行くのは楽しいが、選手として参加するのはどうも苦手。数分で足手まといになるか、その日一番のヒーローになるだろう、フライを10回落とした男として。
 例えば何時にどこに集合して全員でランニングする、というよりは、夕食前に時間を見計らって作業をとめ、川沿いなどを一人で走り込む方が向いている。そう、スポーツでも個人種目なら案外好きだったりする。走ったり泳いだり自転車に乗ったりが好き。あ、トライアスロンだ!そう思ってプールの休憩所に置いてあった月刊トライアスロンを読んでみる。うう。ほど遠い世界。
 スポーツ中継は曲を作っている合間のひと休みで見ることが多い。なぜだか相性がいいのである。音楽のコードでいうと、不協和音にならないというか、どんなスポーツでも作業に支障はないし、ぶつからない。
 ドラマとか映画は映像だけでもストーリーを感じてしまい、メロディのようなものを受け取ってしまう。かたやスポーツは本来、人体のリズムを楽しむものだからだろうか、ボールや人が走っているのを目で追っているだけで脳が良い方に活性化される。脳内リフレッシュ。画面を眺めているだけで試合の動向をまったく分かっていないときもあるが。
 知り合いの作曲家でスピーカーの脇に5インチくらいの小型テレビを置いている人がいる。その人みたいにずっとスポーツチャンネルを流しながら曲作りをしてみたいな。そういえばディスカバリーチャンネルばかり見てる映像作家もいる。ずっと横目で大自然の風景を眺めながらグラフィック仕事。そういう、たとえば常に逃避しながら働いている人、きっと多いんだろうな。そうなってみたい。


2005

ナイトハイク

2005.04.20

 小学生の頃、地域ごとで参加するボーイスカウトのような団体に入っていて、そこで何度かキャンプに出かけたことがある。薪を炊いて飯盒炊飯でグループ ごとに自炊をしたり、川で魚を釣ったり。今でも緑に囲まれるとわくわくしてしまうような僕の、アウトドアの原体験はここにあるような気がしている。
 そのサマーキャンプでの何日目かの夜、ナイトハイクが行われることになった。耳慣れないその言葉に、僕はうっすらと不信感を抱いていたのだが、おそらく夕食後にでも散歩がてらハイキングをして、夜の虫の生態などを観察したりするのかな、などと思っていた。ところが、その夜集められた僕らに、なんとも 衝撃的な命令が下されたのだった。「今からひとりずつ森のなかへ入っていけ。」
 ひとりひとりに懐中電灯が配られ、暗闇の森の危険について軽い説明がなされたあと、追い打ちをかけるように今度は「この森にまつわる恐い話」が披露される。そこは長野県の山奥だったのだが、「武田信玄の兵士たちの幽霊が歩き回ってる」だの「飛行機事故の残骸が今も残っている」だの、いい年した大の大人たちがケタケタ笑いながら、罪の無い子供たちを震え上がらせているのである。
 そして僕らは放たれた。ひとりひとり、暗闇のなかへと。足もとには細い1本のけもの道があるだけで、ほかに頼りになるものは何も無い。道の途中で懐中電灯を試しに消してみると、本物の闇とともに、本物の静寂が訪れる。都会ではけして姿を見せない、本当の夜の顔。次第に森の木のざわめく音が聞こえ、まるで耳に張り付いてくるくらいに響き出す。そのうちに微かな月明かりがあることに気づく。文明の力は消え失せて、原始の地球の香りに包まれながら、僕は 1匹の虫になったような気になってくる。自分が人間であることを忘れてしまう。
 足もとの枝を踏む音で我にかえったとき、僕はなにも知らない森のなかに一人立たされていることに気がついた。ふいに暗闇から戦国兵士の幽霊たちがカタカタと固い鎧を鳴らしながら近づいてきた。あの話が幻覚となって、瞼の裏に現れたのかもしれない。情けない話をすると、僕はこのとき恐怖に耐えられなくなって、全速力で山道を駆け上がり、何百メートルか先を歩いていたほかの子に追いついてしまったのである。いやぁあれはほんと、限界だった。
 後半の下り坂は、例の大人たちが白い布を纏って飛び出してきたり(大人げない)、割れたちょうちんをぶら下げたり(ベタだなぁ)するところをくぐりぬけながら、しまいには僕らも10人くらいになってふざけ合いながら帰ってきた。やがて誰もが、それぞれのバンガローのベッドにもぐって、光溢れる安全な 夢を探したのである。
 
というわけで、今度の僕のミニアルバム「NIGHT HIKE」のタイトルナンバーはこんな体験から始まっいたのである。例えば大人になっていく段階っていうのは、誰かの照らすサーチライトが少しずつ消えていって、自力で暗闇を渡っていかなければいけないということだとしたら、それもひとつのナイトハイクだと思う。もう一度あの山道の麓に立たされたら、 今度こそひとりで登りきらなくちゃいけないな。


2005

手のひらの上でライブ

2005.01.02

 去年はライブをよくやった1年だった。きっかけはエソロジーを出した後、いろん
な人からのオファーが多くなって、それをなるべく断りたくなかったから。だから状
況によってはバンドで出来なかったりしたし、1人バーションも多くなった。1人が
多くなると、今度はそのステージの状況に合わせていくために、ピアノ弾き語りにし
てみたりテープに合わせてみたり。
 僕は例えばアコースティックピアノがなくちゃダメとか、バンドじゃなきゃ出来ま
せんとか、そういう制限が無いのでライブハウスでもカフェでも、どんな編成でもや
ろうと思えば出来る。楽器にしても以前はギターに木琴、ドラムと曲ごとに次々と持
ち替えたり。
 でもここ何年かは僕が人前で演奏するのは鍵盤だけになってきた。自分をある一定
の環境に固定することで、表現が無限大になることを感じるようになったせいだと思
う。ジャンルや編成を分けることで1つ1つの曲を捉えるんじゃなくて、表現手段は
たった1つでも伝える形の数は果てがないということ。まるでこの体1つだけを与え
られて生まれて来たように。
 バンドや1人というのは違えど、だんだんやりやすいライブのパターンが決まって
きた理由の1つには、去年から毎回のセット図(ステージの配置)をノートにメモし
ていたことが挙げられると思う。毎回まるっきり形態の違うステージ、それが良い反
響だったこともあったけれど、正直、僕の頭はたまにこんがらがっていて、それこそ
ステージ上の配線のようにぐちゃぐちゃになっていた。いや、きっとそれを楽しんで
いたんだなー。スリルがあるし。「人がやっていないことを常にやっていたいだろう?
」と言ってキースエマーソンも幾つものオルガンをなぎ倒したんだろうか。
 エソロジーを出したときに思い画いていた「手のひらサイズのポップス(ロックで
もいい)」は、案外こんな風に自分なりの表現のしかたを一度目で確認したかったと
いうことなのかもしれない。手のひらの上で、小さくなった自分達が演奏をしている。
そうだ、一度、誰かのライブを見に行って、そのステージを自分の手のひらに乗せて
みよう。そうすれば誰にも咎められずに彼らを持って帰れるかもしれない。